茶屋四郎次郎記念学術学会について
本学会の前身である日米高齢者保健福祉学会は、1996年、中島恒雄博士(東京福祉大学の創立者、初代総長[創設者略歴])により日米両国の高齢者保健福祉(Gerontology)の発展に貢献するという趣旨で設立された。創立者の中島博士は、ニューヨーク市にあるフォーダム大学教育学大学院(修士課程と博士課程)に留学し、1989年に教育学博士号を取得した。1995-96年には、ハーバード大学教育学大学院招聘学者(Visiting Scholar)を務めている。
当時、中島博士は、東京と名古屋でいくつかの専門学校を経営していた。日本の教育のあり方に疑問を感じていた中島博士は、37歳にしてアメリカ留学を決心した。そして、42歳で博士号を取得した。上記のように、ハーバードで「効果的な教育方法」を研究した後、その研究成果を生かし、2000年に東京福祉大学を設立した。
留学していた当時、中島博士はフォーダム大学の副学長をしていたジェラルド・クイン博士の紹介で、当時同大学社会福祉学大学院長・全米社会福祉協議会会長であったマリー・アン・クアランタ博士と知り合いになった。中島博士は、当時経営していた自分の学校の学生たちにもアメリカのトップクラスの大学の授業を体験してもらい、またアメリカの福祉施設を実地に見学してもらおうと思い、フォーダム大学で「アメリカ夏期短期研修」を行うことを提案した。こうして、フォーダム大学社会福祉学大学院と、同大学院長クアランタ博士の全面的なご協力で始まった「アメリカ夏期短期研修」は、2000年以降は同年に開学した東京福祉大学の毎年の行事となり、今日に至っている。
中島博士は、日本の社会福祉、特に高齢者福祉を考えるうえでは、国際的視野からこの問題をとらえ、アメリカの発達した優れた社会福祉政策や理論を取り入れるべきだと考え始めた。当時、日本では、社会福祉士、介護福祉士の国家資格がようやく整備されはじめた時期であり、少子高齢化問題への一般の関心も今ほどは高くなかった。クアランタ博士は中島博士の考えに賛同し、より幸福な高齢者の生活を創造するための高齢者保健福祉学研究の充実・発展と、こうした面での日米の学術交流を目的として、1996年に日米高齢者保健福祉学会が設立された。東京福祉大学開学後は日本側の事務局を東京福祉大学内に置き、アメリカ側の事務局はフォーダム大学社会福祉学大学院内にそれぞれ置いた。なお、本学会のアメリカ側代表は、同大学院教授・マーサ・バイアル博士が務めている。
人口の高齢化は日本同様、アメリカやアジア諸国においても深刻な問題である。医学の進歩などにより、寿命が伸びたため、長い老後をいかに健康で、生きがいをもって、幸福に過ごすか、また、増大する高齢者医療費などのコストをどうするかといった問題は、世界共通のものである。ただし、日本では急激な高齢化とともに、少子化が同時進行している点が特色である。世界に先駆けて急速な少子高齢化が進行している日本の現状を知ることは、アメリカの社会福祉学界にとっても有意義なことである。一方、日本の社会福祉学界にとっても、アメリカの発達した社会福祉政策や理論を知ることは重要である。このようにして、日米の学術交流をさらに深めていかねばならない。
中島博士は、東京福祉大学総長でもあったため、2000年4月の大学創立以降、最初の卒業生を出した2004年3月までは、大学の教育活動の充実にもっぱら努めねばならず、日米高齢者保健福祉学会会長としての活動はやや停滞ぎみだった。しかし、この間、東京福祉大学は目ざましい教育実績を挙げてきた。その一例として2004年1月実施の国家試験の合格者数を見ると、社会福祉士国家試験には東京福祉大学から417人(通学部79人、通信教育部338人)、PSW(精神保健福祉士)国家試験には同大学から147人(通学部29人、通信教育部118人)が合格し、両試験の合格者合計数は564人で、これらの合計は全国の大学の中で日本一であった。
東京福祉大学は、新設大学でありながら、開設以来40年~50年の歴史をもつ他の福祉系名門大学に打ち勝ち、日本一の国家試験合格者数を出した。社会福祉士・PSW(精神保健福祉士)国家試験の合計合格者数は、2004年以降、10年連続で日本全国1・2位以内を堅持している。
本学会は中島博士がフォーダム大学教育学大学院での教育学博士号取得や、その後のハーバード大学教育学大学院での研究などを通して築き上げた、アメリカの大学院や教授陣との信頼関係と人脈が、基礎となっている。中島博士は、海外での研究のネットワークをもとに、学会発足以来、アメリカの著名な学者も招聘した。彼は、母校のフォーダム大学以外にも、ハーバード大学、ブランダイス大学、カリフォルニア州立大学などにも太い人脈を持ち、そうした人脈のパイプを通じて、過去には米国から多くの一流の学者を招き、本学会で講演を行っていただくことができた。1999年8月には、アメリカの社会福祉政策理論の第一人者であるマーサ・N・オザワ博士(米国ワシントン大学大学院特別高等教授)を招き、日本の社会福祉教育のあり方についてご講演を賜った。
高齢者保健福祉を考えるうえで、隣接分野である医療、精神保健、臨床心理学、保育・児童学などの研究も欠かせないものである。2005年4月には、本学会の招きで、アメリカの精神保健学の権威であるコンスタンス・ホーガン博士(ブランダイス大学社会福祉政策大学院教授、元ハーバード大学医科大学院客員教授)が来日し、東京福祉大学において特別学術講演会を実施した。ホーガン博士は2012年9月にも来日し、本学会で講演を行っている。
上述のように、本学会は、日米の高齢者保健福祉に焦点をあてた学会として発足したが、その後、高齢者問題に限らず、広くヒューマンサービス、ソーシャルサービス関連に研究の領域を広げ、その成果を学会誌にて発表してきた。ヒューマンサービスは、米国で多用されている用語で、対人福祉サービス(personal social service)、カウンセリング、教育など、種々の対人援助サービスを指す。また、ソーシャルサービスは国連やイギリスなどで多用されている用語で、分野としては保健医療、教育、対人福祉サービス、所得補償、住宅、雇用などのさまざまな領域が含まれる。ヒューマンサービス、ソーシャルサービスともに、病気、人間関係、家族関係、心理的問題、経済的問題など、さまざまな困難に直面している人間に対して、同じ人間である援助者が支援する形態のサービスである。
その一例として、2012年11月には、「家族関係を強化する」(Strengthening the Family Life)と題したシンポジウムを開催し、国外からは家族療法のカリフォルニア州立大学名誉教授のマーシャル・ジャング博士(Dr. Marshall Jung)を招いて「Family Therapy with Asian Families」と題して講演をしていただいた。
現在、本学会は、社会福祉学分野、保健医療分野にとどまらず、国際的視野のもとに、教育学、心理学、保育児童学、その他、幅広く「人」と関わる分野の学術研究を進め、社会貢献することを目的に、学会名を新しくして、あらためて活動を強化している。今後は、福祉・医療系に限らず、経営学なども含め、「人」と関わるさまざまな分野に研究の幅を広げたい。また、後進の研究者を育成し、国際的に通用するレベルの学術論文が書ける人材を育てたい。
次に、学会の現在の名称について説明したい。本学会は、2013年に名称を現在の「茶屋四郎次郎記念学術学会」へと変更した。
茶屋四郎次郎とは、中島博士の先祖である。彼は徳川家康の側近であり、家康の生涯最大の危機といわれる「伊賀越え」で家康の命を救った恩人であった。約400年前の江戸時代初期、まだ海外への渡航が命がけであった時代に、「御朱印船」(徳川将軍公認の貿易船)で荒波を乗り越え、遠く今のベトナムまで渡航し、貿易を行った人物である。ベトナムの古い港町であるホイアン(ベトナム中部、旧市街は世界遺産に登録されている)には今も「日本橋」という橋が残り、茶屋四郎次郎の名が語り継がれている。
命がけで未知の世界に飛び込み、わが国の発展のために尽くした冒険者の精神、未来を切り開くフロンティア・スピリット、国際的な視野は、21世紀の現代にも通じるものである。国際派の人物であった茶屋四郎次郎、その子孫が創立した学会に由緒ある名門「茶屋」の屋号を名称に付けることは意義のあることと考える。
一方、茶屋四郎次郎という歴史的に意味のある名称を学会名とすることで、国際的な学会として認められることになると思う。本学会が、海外から一流の研究者を招き、また、日本の研究者を国際レベルに引き上げ、世界に認められる学会をめざしたい。
グローバル化の進んだ今日、学術(Scholastic)という言葉の持つ意味も変わりつつある。たとえば、アメリカに端を発した経済不況は、またたく間に全世界へ、ボールディングの言う「宇宙船地球号」(Spaceship Earth)に拡散する。それによっていわゆる格差社会の問題がより深刻に、かつ全地球的規模で広がり、社会的に弱い人々や弱い国々をさらに窮地へ追いやっている。そのような意味で、国際比較研究の重要性が増し、国際的に活躍できる専門職の必要性が高まっている。そうした専門職の育成には、息の長い取り組みが必要である。
Smooth seas do not make skillful sailors(穏やかな海は良い船乗りを育てない)ということわざがある。人々のかかえる問題を、グローバルな視野からも分析し、解決できる人材を育てることが本学会の課題である。そのためには、未知の荒海に漕ぎ出していく勇気が必要である。そうした意味で、400年前の日本の国際化のパイオニアであり、フロンティア・スピリットの象徴であり、日本の歴史上の大人物である茶屋四郎次郎の名を学会名とすることは、大きな意味のあることと考える。